編集長のコラム

生きた証|The Moon Above the Mountains

早くに仲間がこの世を去るたびに、世の無常を感じずにはいられない。まだ早かった。もっと何かができたのではないか? 残された自分はそう自問自答して、自らに残された生を見つめながらまた歩き出す。それは自分にも、いつかは死が訪れるという事実を突きつけられる機会でもあり、静かに自分のこれまでの足跡を振り返るひとときでもある。

「人生は何事をも為なさぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短い(『山月記』中島敦)」山月記のなかで虎と化した李徴は詩編を残し、旧友に妻子を託した。わけもわからぬまま自らが無くなっていくその最中で、せめて生きた証を残したいと求めたその姿は悲しく滑稽でありながらも、気持ちは痛いほどに切実で、心に響く。もしもおれが虎に変わるようなことがあったとしても、きっと同じ様なことをするだろうから。

何もしないには長すぎるし、何かをするには短すぎるこの人生というもの。これまで自分は、何事かを為すために生きてきた。そしてきっとこれからもそうだろう。新しいアイディアが少しずつ何かを変えていくのだ。変化は、小さいながらもイノベーション(変革)になるのだと信じて。早くにこの世を去った彼の人も、この湘南にすばらしいいくつかの店を残した。この店に行き交う人が笑顔を交わし続けるかぎり、その人の想いは残り続ける。思うに、人生は何事かを為すには短かったとしても、「何事かを遺(のこ)す」のに丁度良いように出来ているんだろう。

今年の12月、いまだに何事も為せていない自分だが、初めての子どもが生まれる。この人生の中でなにが為せるのかはわからないけれど、彼をこの世に残すこともまた、自分の生きた証になるのだろう。せめて彼に精一杯の愛を注ぎたい、自分が伝えられるだけの、出来る限りの知恵と勇気も添えて。

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