編集長のコラム 連載

人生の気合いの強いひと|the ghost

健全な魂は健全な肉体に宿れかし。最近ときどき考える、心の疑問。「たましい」とはなんだろうか? 本当にそんな存在があるのだろうか? 例えばひとが肉体を持って生まれくるように、人はひとつの魂を持って生まれてくるという。心や精神とはまた別の次元に存在するそのエネルギーが人を突き動かし、胸を熱くさせたり涙を流させたりする。魂は人から人に流転するものなのだろうか? それとも、この世の全ての生き物のあいだをたゆたうものなのだろうか? キリスト教圏では人以外に魂はないと考えるそうだけれど、しかし、だとしたらこの100年で64億人を越えた人々の「たましい」の元はいったいどこから来たのだろうか?と思ってしまう。個人的にはブッダが昼寝の合間に鳥の一生を体験したように、「生まれ変わり」という概念を信じたい。人が殺し、地球上から減らしてきた生き物のぶんだけ、人が増えているのだと。魂の原料は、おそらくそこにある。幽霊という存在も魂のひとつの形なのだろうか? しかし、人が死んで肉体を失って、すべからく意識を残すとはにわかに信じがたい。個人的な確信としては、人生の気合いの強かった人間だけが現世に意識を残すのではないだろうか。もしくは、無念や、心残りや、恨みや、妬みや、殺意や、心配。こういう強烈な意識だけが残るのではないか。それ以外の人はきっと、死んだ瞬間に生きていた頃の記憶ごと雲散霧消してどこか元いた場所へと還るのだ。そう考えるといろいろ合点がいくことが知識としても経験としても多々。はてさて、俺自身は死してなお意識を残す「人生の気合いの強い人」になれるかな。魂を鍛える。それはきっと、「どう生きるか」と同義のことなのだろう。「魂は肉体とも感情とも別の僕らの気付かないところにあって/試練の時のみに反応し、成長するものだと思います。/競い合いましょう、魂を」(『編集王』土田世紀)

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